山門の言葉

令和8年3月山門の言葉

四海の内みな兄弟とするなり
曇鸞大師『浄土論註』

私が小学生の時、教室で飼っていた動物が死んでしまった。一同悲しみに包まれる中、お葬式をしようという提案が出された。そして「寺生まれだし、高橋にお経を読んで欲しい」という流れに。私はというと、祖母が毎日夕方に勤める「正信偈」しか知らず、まして一人で読んだことは無い。だからお葬式なんて出来ないと答えると、「なんでだよ、坊さんだろう」と責められた。仕方なく渋々、冷汗をかきながら同級生が見守る中、一人で「正信偈」を勤めたのであった。亡骸を埋めた校庭でしんみりとした雰囲気になったが、それでも心の中では、なぜ寺に生まれてしまったのか、普通の家に生まれたかったと感じた。

悩みとは、私自身に原因があるものと、そうでないものがあると教えられる。寺生まれを恨んだ私であったが、ご門徒の方とお話をしてみると、皆それぞれ解決のできない家庭事情を抱えていることに気づかされる。私だけ悩んでいるのではなかったのだ。

今も昔も家柄や生まれた地域など、自分ではどうしようもないことで比較され、差別されている。傍から見れば恵まれている人も、当人は悩みの中にいる。阿弥陀仏から見れば、どんな人も悩みを抱えている。それで曇鸞大師は私たちのことを兄弟と説かれた。

当時の私は、自分のことしか考えていなかった。しかし今にして思えば、同級生たちも悲しくて仕方がなかったのだ。弔いたい、でもどうしていいか分からない。それで私に頼んだのであろう。決して悲しみは癒えないけれども、私にも少しは出来ることがある。同時に彼らでないと出来ないこともあるに違いない。そうした気づきを曇鸞大師から教わるのである。(高橋淳 記)

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