山門の言葉

令和8年2月山門の言葉

酒はこれ、忘憂の名あり
『口伝鈔』

西徳寺に入寺してから、まもなく十七年が経つ。今までご縁をいただいた葬儀は二百を超える。大切なお身内とのお別れは様々である。笑顔で送り出せる時、深い悲しみに包まれる時・・・。

 『口伝鈔』には、親鸞聖人のこんな言葉が残されている。「酒はこれ忘憂の名あり、これをすすめてわらうほどになぐさめて、さるべし」と。酒には忘憂という別名がある。別離の縁に遇う人には酒を勧め、共に飲んで笑い、慰めて立ち去ればよい。これが弔いではないかと言う。

真宗佛光寺派の勤行聖典「葬儀表白」には、「(おおよ)(しょう)を受くるものは必ず死に帰す 諸行無常の(ことわり)はすでに釈迦牟尼仏の我等に示し給いし真理にして 何ぞ驚くに足らんや」。その後に、「この不定の相に会いて 恩愛の情断ち難く 嘆き悲しむは また人の世の常なり」とある。

諸行無常は真理であり、別離の悲しみ、それは個人の体験ではなく、人の世の常なのだと。言葉にすればその通りであるが、悲しみに直面した人はすぐに頷けない言葉ではないだろうか。

しかし二十代で奥さんを亡くしたご門徒が、三回忌を迎えた後、「自分が死んだわけではない、と思うようにしました」と言っていた。忘れるとか忘れないでなく、悲しみを背負って私は今を生きる、その決意の表れだったのだろう。その彼とは、今では飲み友達である。

仏事での飲物は、酌み交わすように瓶で提供される。酒で憂いを忘れることはできない。しかし、まず心を打ち明けられる人、一緒に涙を流してもらえる人がいる。それが一つの救いなのであろう。

酒の別名である忘憂、それは悲しみを縁として、個人から解放される道があるのだと、人の世が勧めているのである。人は悲しみと共に生きるのだ。 しかし昨年の健康診断で肝臓の数値が悪かった私は、酒とは適度な付き合いが必要である。             (仲井真裕 記)

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