令和8年9月山門の言葉
朝起きると指が痛い。まあ、すぐ良くなるだろうと気にせず放っておいたら、次の日も、その次の日も痛みが引かない。むしろ前より痛みが増したような気がする。ぐずぐずと悩んでいたので病院に行くまでに一週間くらいかかった。その間、どうにも気になってインターネットで調べてみれば、様々な症状が表れ、どんどん不安になった。そんな気分のまま病院に行ってみると、薬を塗って安静にしていればじき良くなる、心配しなくていいと診断された。今回はたまたま軽傷だったものの、自分の判断によって、かえって不安が大きくなった。
第二十一世御門主・寛如上人は「おの(己)が智慧にも及ばず」というお言葉で、私たちにはたらく念仏の教えを言い表す。しかし、指が痛いのに放っておき、ネット情報を見て不安になったように、どうしても己の知恵に頼るほかない。このような有り様である私は、念仏の教えをどう聞けばいいのだろうか。
御勧章は「一心に弥陀を南無と頼み奉り」と続く。「弥陀」とは阿弥陀仏、つまりナムアミダブツを称えよと勧められている。良かれと思って行動した出来事が裏目に出る。頼りにしていた自分の心が実は確かなものではなかった。そう気づかせるはたらきこそが、ナムアミダブツの教えである。指の痛みも、実はナムアミダブツの教えを聞く機縁であったのだ。
それでも、いくら聞いても疑ってしまうのが私たちである。そして、私の考えはやっぱり正しいとして疑わない。であるからこそ「おのが智慧にも及ばず」という教えを何度も聞くことが大切ではないだろうか。悩みはこれからも尽きないが、悩みをきっかけに知恵の狭く浅い自分に出遇い、また同時に、広く深いナムアミダブツの智慧に出遇うのである。(高橋淳 記)