山門の言葉

2月の山門の言葉「我等は生死以外に霊存するものなり」

毎日ウイスキーを好んでよく飲む。学生時代はビール党であったが、宗正元先生に連れていってもらったバーで初めてウイスキーを飲み、たまたま同じ銘柄のウイスキーを門徒さんに戴いた頃から、ウイスキーばかりを飲んでいる。

どこかで「ウイスキーは時を飲む酒だ」と聞き、ロマンを感じたのも飲み始めた理由の一つだ。確かにウイスキーは樽で三年以上熟成し完成する。そして熟成の年月が経てば経つほど味がまろやかになり、高級になる。人間はどうだろう。

私も四十歳を超え、少しずつ流行についていくのに疲れてきた。年数を重ね、様々な経験を蓄積しても頭が固くなり、若者からは老害と呼ばれてしまう。年数が経過した人間は、まろやかにはならず、世間からの価値も下がってしまうのだろうか。

 今月の言葉は真宗大谷派の僧侶で、大谷大学の初代学長である清沢満之師の言葉である。宗先生の聞法会、浅草の雲集学舎でよく拝読していた一文で、数年経った今でも耳に残っている。

ここでは生死以外に霊存(人智を超えた自覚的存在)するのが私であると説かれる。私たちにとっての生死は、自分が生まれてから死ぬまでの儚い数十年であろう。その量る生死を超えたいのちがあると説くのだ。

釈尊出家の動機、出離生死が仏教の根本問題である。しかし、私が私個人のまま生死を超えようとするのは都合が良すぎる。私という存在には、私以前に私を生み出した、無量のはたらきがあるのだ。そのはたらきが時となって私を生かす。その自覚こそ、生死以外のいのち、霊存なのだ。

ウイスキーと同じく、私たちは時といういのちをいただく。酒に酔いながら見失っている人間存在の根源を教わっている。時という制約の中にこそ、私の背景が知らされるのだ。

仲井真裕 記

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