6月の山門の言葉「本当の贅沢とはなんだろうか?」
「給料日、1ヶ月頑張った分の“ご褒美”に美味しいものを食べよう」。
贅沢と聞いて“浮かぶ”のは、食べるもの・飲むものなどだろうと思う。
辞書を引くと、「贅沢とは無駄で役に立たない」とある。
贅沢とは、何故に“贅沢”と言えるのか。思い返してみる。
今、世の中は無意識に“合理化”が著しい世の中で、豊かさという味がない。
むしろ“贅沢を切り捨て、涙を失っている”のが現代の一面かもしれない。
もしかしたら人生の潤いも、無駄で役に立たないものの中に
埋もれているのかもしれない。
「当たり前」という気に留めていなかったことに
実は“潤い”が宿っているのではなかろうか。
私たちは自分が欲するものが手に入ることを贅沢と思っているが、
“当然”のように見逃してきたことで既に与えられていたことに気付くとき、
真の贅沢は違うのかと思うのである。
「おっとつあん、おっかあ」が真夏な身体生んでくれたことに感謝して。
飲み仲間の引越屋さんの「口癖」お陰様こそが贅沢なのだと思う。
贅沢は、人それぞれであって然るべきなのだと、格別に無駄と言われているはずであった。
比較が止められないが、既に与えられているお陰様の“贅沢”であった。
私たちは、お陰様の贅沢の中で生きるのだろうか。
本当の贅沢とは、どこにあるのだろうか。
(山﨑 智記)