山門の言葉

10月の山門の言葉「すべての子どもは芸術家だ。問題は、大人になっても芸術家でいられるかだ」

すべての子どもは芸術家だ。
問題は、大人になっても芸術家でいられるかだ
パブロ・ピカソ

自坊で、子どもを十人くらい連れた家族の法事を祖父と勤めた。
泣きわめく子、走り回る子、おもちゃを投げて遊ぶ子。
始まる前から不安で仕方なかった。
法事が始まると静かになると思っていたが、
それどころか、私や祖父の顔をのぞき込んだり、
数珠を触ったりと邪魔ばかりされた。

法事の後、祖父は法話で「賑やかでよかった。親御さん、この子たちを絶対怒ってはだめだ」と言った。自分の分まで子どもたちに叱ってくれると思っていた私は、正直呆れた。祖父は「今日、この子たちが身に沁みて感じたお線香の匂い、お経の声は、今しか味わえないもの。その感覚は、この先、彼らの中で残り続けていく」と続けた。

幼少期を思い出した。父が勤めていたお寺で、一日の大半を過ごしていた私は、この子どもたちと同様に、朝昼の仏事でずっと座っていられず、騒いで怒られていたことがあった。今思うとあの時期、怒られる中で無意識に耳に入っていた正信偈は、今も私の中に残っている。

画家のピカソは、「子どもが持つ純粋に感じる力、表現する力を作品においてひらめきの源としていた」とある。子どもが持つ純粋さを忘れてしまうことを指摘しているのは、まったくその通りだと思う。

日々変動する世の中で、型にはまった常識に縛られてしまいがちな大人は、いつまでも身に受け継がれている子どもの時の純粋な感性というものを、忘れてしまっているのだろう。

仏教の言葉である「相続」とは、もともと受け継ぐという意味で使われる。
この世のあらゆるものは、すがた形を変えながらも、絶えず存在し続けることをいう。

仏事において「死」と向き合う中で、故人のおもい(思い)や意志は、親や子に受け継ぐ形で存在し続けることを教えられる。
自分の内にあるはずの純粋な感性を、いつの間にか忘れていることを、自坊の法事を通して気づかされた。

(大谷 隆 記)

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